トップページ > 東京大学駒場寮 > 駒場寮を巡る学部と学生自治会との戦い

駒場寮を巡る学部と学生自治会との戦い

駒場寮廃寮の計画は、そもそも1990年に三鷹寮の敷地の非効率利用を指摘された事が発端です。ですから、教養学部は3年以内にこの敷地を効率的に使用しなければならず、そうしなければこの土地の管理権を東京大学から大蔵省に引き渡さなければならないことになったのです。そこで、教養学部当局は、大規模な国際学生宿舎建設や、三鷹寮と駒場寮廃寮との計画案を文部省に提出しそれが受け入れられました。そこで、急速に建設計画が推し進められて行きました。
この時、駒場寮委員会と学生自治会に計画が知らされ、彼らは計画見送りを求めました。しかし学部側は、強い反対は見られないとして計画を進めました。その後大学側から、駒場寮跡地について、CCCL計画というものが提出されました。つまり、それはつまりこの駒場寮跡地に、新しいサークル施設やスポーツ施設、カフェテラスや国際交流会館などをふくむ新しいキャンパスの建設案でした。
しかし、当時の学生たちからすれば、この大規模なキャンパスが本当に実現可能か疑わしいものでした。予算的にも100億円の費用が必要であり、そのうち40億円は寄付で賄われるというものでしたが、実際にある寄付金額は4000万円しかないというような情報があったようです。このように実現化が難しい事や、学生がどれほど自由に施設を利用できるかも不透明でした。その様な背景の中で、廃寮反対運動が活発化してゆきました。その後、話し合いでも決着がつかず、ストライキや悪質な妨害行為等も行われました。
結局この問題は法廷に持ち出されました。国が寮内の生徒と学生自治会を相手に提訴しました。結局は国の訴えが認められ、寮生らの訴えは棄却されると共に、学部側の勝利が確定しました。 

↑ PAGE TOP